こう見えても僕は比較的素直な性格です。(いやどう見えてるかしらんが。)
人の言ったことは割とそのまま信じるし、余程のことがない限り、その人の言ってることをそのまま信じてしまいます。
疑うことを知らないただのバカといったところでしょうか。
でもこの性格のおかげもあって、これまでずっと困ってきたことが一つあります。
それが誰かを採用した時、そして会社に入ってきた時に、その人が組織にとって優秀な人材なのか、それとも足を引っ張りかねない存在なのか?という問題です。
細部までは実際に一緒に働いてみないと分からないものの、本当にまずい人に関しては採用の段階で排除しなければなりません。
僕は本当にこの採用の部分で苦労してきました。おいおいお前まじかよと後から思い、後悔したこと数え切れません。
側近に横領されたこともあるし、起業家って人間不信になるよね。
でもたくさん失敗を重ねるとようやく分かることもあるんですよね。まじで20代で最も苦労したのがこの人を見極めるということです。この経験をこの記事にすべて放出しちゃいます。しかと僕の苦労と経験を受け止めるべし。
Contents
有能とは?
そもそも有能とは何でしょうか?
言葉をそのまま受け取ると、「能力が有る」人のことを言うのだと思いますが、組織やコミュニティーにとっては能力の有無よりももっと重要なことがあります。
それが組織の利益のために行動することができるかどうか。本当にこの一点に尽きます。
その組織に所属しているということは、その組織に貢献して初めて自分にも恩恵が行き届くのです。
その貢献の仕方は時と場合によって様々です。お客さんの場合は金銭を支払うことでサービスという対価を受けることができます。また更にサービスの提供者にとって良いお客さんであれば、より一層の恩恵を受けられる可能性だってあるかもしれません。
また会社の場合はより分かりやすいです。お客さんへの貢献であったり、上司の指示であったり、いずれにせよ何らかの形で組織に貢献することが求められます。言葉にすると分かりやすいですよね。
本来はお客さんから対価である金銭をいただき、それによって初めて働き手に報酬が支払われるのが正しいあり方です。
しかし実際のところ、従業員は正しく価値提供をする前から決められた期日に報酬が支払われるようになっているんですね。
これによって、色々勘違いしてしまう人が出てきます。いるだけで自分が組織に貢献することができていると勘違いしてしまったり、従業員が他者を評価し始めてしまうのです。
組織に手を動かさない評論家タイプがいると、一気に空気が悪くなります。あなたもそれを経験したことはないでしょうか?
全員を教育するのは不可能
起業した当初は正しいことをやれば、全員進むべき方向に向いてくれるだろう、そのように考えていました。
何度も正しいことを伝え、その人の役割と責任を明確にし、その成果に対してコミットしてもらうという形を取っていけば、筋の良い人から変わってくるでしょう。
しかし全員それで何とかなると言えば、そうではないなと思います。
そもそも何年も生きてきた人間がそう簡単に毎回毎回変わる方がおかしいと考える方が自然ですよね。変わらない人間はいつまで経っても変わらないのです。
しかもそういう人こそ、いつまで経ってもその組織に居続けようとするんですね。非常に難しいところです。
これを馬鹿正直に全員変わると思っていた昔の僕はバカでした。非常に傲慢な考えだったなと思います。
だからこそ、まずは簡単にその人が組織に貢献することのできる体質の人か、それともそうではなく、自分のことしか考えていないタイプなのかを見極める目を持っていれば物凄く楽になるというわけです。
これ本当、20歳の時の自分に教えてもらいたいかった。
有能か無能かこれで見極めるべし!
この前こんなツイートをしました。
ツイートでも記されている通り、
- 自己アピールが激しくないか
- 綺麗事を並べ、第一印象が無駄に良くないか
- 自己評価をしていないか
個人的にはこの3つが見極めポイントだなと思います。では順番に解説していきましょう。
①自己アピールが激しくないか?
例えば、採用を担当している人は、面接を必ずすることになると思います。そういった人事の人はまずこちらを確認するのが良いと思います。
面接は、面接官が面接を受ける人に対して何かしらの問いを出します。それに対して質問者が答えるという形です。
いわゆる組織に貢献できないタイプの人は、こぞってここで過度に自分をアピールしようとします。
短い時間の中で必死に自分を売り込もうとする意識ですね。はい、その意識は立派です。
でもね。聞いてることは一つなんですよ。その聞いてることに対して正しく答えることが求められているのであり、その聞かれていることを超えて、自分をアピールすることに意味があるのでしょうか?
これは質問者の質問に答えていない、質問者の指示に従うことができないということを示しています。
そもそも仕事のできる人とは、組織に貢献することのできる人。そしてそれを更に突っ込んで説明するのなら、経営者(組織のトップ)を除けば、上司の評価を勝ち取ることのできる人のことを指します。
過度に自分をアピールするということは、上司の指示に従うことができないということにつながります。果たしてそれで上司の評価を勝ち取ることができるでしょうか?
それに、そもそも有能な人は自己アピールが不要です。質の良い仕事を行っていたり、お客さんに正しく貢献し、かつ上司(会社)に貢献することができていれば、変なことをしなくても勝手に評価されるものですからね。
今まで正しく評価を勝ち取ることのできていた人ほど、聞かれていることに忠実に答えますし、また過度にアピールなどしません。
②綺麗事を並べ、第一印象が無駄に良い。
もうこれですよ、これ。組織に貢献することを第一に考えずに自分のことばかりの人はほぼ間違いなくこの②は当てはまります。
何でなんですかね?
色々考えた結果、僕はこのように考えました。
まず第一に、相手が自分のことを知らないうちは何でも好き放題言うことができます。それが正しいかどうか、その時点では確認する術がないからです。
次に、②に当てはまる人は本来非常に自分勝手な人間だというのが元々あるという説です。
つまりどういうことかというと、幼少期や青年期は自分勝手な性格を表に出しまくって生活をしていました。しかしその姿勢で組織の中で生活を送っていると遅かれ早かれ大バッシングをくらいます。さすがに正面からバッシングをくらうのはその人にとって好ましい状況ではありません。
それを回避するために、本質的な部分に目を向けるということをせずに、とりあえず見せかけを良くしておくという流れです。
そのためこの②に当てはまる人は、とんでもなく第一印象が良く、スキがありません。完璧超人のような感じです。
しかし人間には欠点が付き物です。このタイプの人は一緒に過ごしていたら徐々にボロを出してきます。そしてその欠点が本当にタチが悪いことが多いのです。
なので異常に第一印象が良い場合は気をつけた方が良いというのが僕の持論です。
③自己評価をしていないか
有能、無能問わず「評価」というものを誤解している人が非常に多いように感じています。
「評価」というのは自分でするものではなく、他者によって下されるものです。それ以外あり得ません。
にも関わらず、自分自身のことを評価していたら、きまって他者との評価とのギャップに苦しむことになります。そのギャップに苦しむくらいならまだ良いのですが、評価されないのは相手のせいだ、みたいに他責な考え方で相手を攻撃し始めるケースが非常に多いので、ここは気をつけたい部分です。
ちなみに、よく慶早進学塾で、生徒に、試験本番では結果のことを考えずに、試験問題を解き、正しいと思われる答えを作り、そこに誤りがないかの確認をすることだけに命をかけろ、と言います。
人間が自分の意思でコントロールすることができるのは現在の自分自身だけなのです。相手のことをコントロールすることはできないし、また自分のことであっても過去の自分や、未来の自分をコントロールすることもできません。
試験本番でいつもの実力を出すことができない人は、本来自分がやらないといけないことをないがしろにし、相手に評価されるはずの結果のことを気にしすぎてしまったり、また自分が受かってるか落ちてるかどうかという、未来の自分というコントロールすることのできないことばかり気にしてしまうのです。
だからうまくいかなくなるんですね。
いずれにせよ、過度に自己評価を下すのは良いことがありません。そんなものは他者に任せて、自分のやるべきことに集中しましょう。
まとめ
起業してから今日に到るまで、多くの人を採用させていただき(現時点で合計100名くらいかな?)、また数多くの生徒を指導させていただき、苦労を重ねる中で見出した至極の見分けポイントでした。
もちろん有能か無能かの見極めと同時に、無能な人を生み出さないようにするのが組織の管理者や上司の務めでもあるのは間違いありません。
一方で、どう転んでもこの人は変わらないという人がいるのも事実なので、事前にそこを見分けられるようになると良いですね。
騙されることだけはないようにしよう…!
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